17世紀にトルコ――オスマン帝国のイスタンブールでは、花それぞれに意味を持たせ、その組み合わせでメッセージを贈るという慣習がありました。例えば「素敵」という意味の花と、「愛」という意味の花を組み合わせて「素敵なあなたを愛している」とか、そういうものだったようです。ノンビリしたものですね。
この花言葉の風習はトルコのハーレムの女性のゲームでした。花・雑草・果物・薬草だけでなく、石や羽毛といったものにも、それぞれに詩的メッセージがありました。
メアリー・モンタギューイギリスの駐在大使夫人で冒険家でエッセイ作家であるメアリー・モンタギューが一年間イスタンブール(コンスタンチノーブル)で過ごし、1717年に「トルコのラブレター」を紹介する文章を知り合いの女性に書いたことでイギリスに伝わったとされます。ちなみにメアリーはかなり先進的女性で、離婚して外国を旅しています。
オーブリー・ド・ラ・モトレイアフリカやアジアを旅したオーブリー(1674年 - 1743年)は4年間トルコに滞在した後、1727年スェーデン王カール12世(1682年6月17日 - 1718年11月30日)に招かれた宮廷で「花言葉」を紹介しました。ところでこのオーブリーさんは男なんでしょうか、女なんでしょうか?
●投稿でカール12世は1727年には生きていないことを指摘されました。どこかに間違いがあるようなのですが、よく分からないです。要再調査。
しかし実際に花言葉がブームになるのは19世紀伝わったのは18世紀なのですが、実際にブームになるのは19世紀。実際にこの火付け役となったのはシャルロット・ド・ラトゥールの著作「Le Langage des Fleurs」邦題はそのものずばりの「花の言葉」。まずはフランスで観光され、徐々にイギリス、アメリカ、ベルギー・ドイツと広がっていきました。